法廷では「(事件当時)少年だから死刑はないww」とせせら笑い、「俺の刑はなによw」と不遜な態度で挑むなど反省の色は微塵もなかったが、1審の判決で1名死刑、2名無期懲役となった。
この判決に衝撃を受けた3名は控訴。減刑を狙い態度を変え、遺族に謝罪の手紙を書くなどしたが受け入れられず、2審では3名全員に死刑判決が言い渡された。
これを不服として、最高裁に上告するも、2011年3月10日、最高裁判所は「11日間という短期間に犯行を重ねており、執拗で残虐。地域社会に与えた影響は大きい」として、上告を棄却し元少年3人に死刑が確定した。
【事件内容】※Wikiから転載
事件1
事件は1994年9月28日午前3時頃に幕を開けた。主犯格の3人ともう1人は大阪市中央区で無職の男性(当時26歳)を強盗目的で襲った上に拉致し、19時間にわたって監禁・暴行を繰り返した。そして最後はベルトを使って絞殺した。その後少年らは、暴力団員に遺体の処分を相談し、高知県安芸郡奈半利町の山中に遺棄した。男性の遺体は11月22日に毛布に包まれているところを発見されたが、凄まじい暴行の痕があったといわれる。
事件2
10月6日、少年グループの仲間の1人である型枠大工の男性(当時22歳)が女性関係をめぐってAと言い争いになる(犯人Aが男性の彼女をレイプしたことで喧嘩となった)。
AはBやCら仲間7人と共にこの男性をビール瓶や鉄パイプなどで約8時間にわたって激しく暴行した上、翌日未明には愛知県尾西市の木曽川河川敷で瀕死の男性を堤防から突き落とし、更に雑木林へ引きずりシンナーをかけた上で火をつけて殺害した。遺体は10月13日に同場所で発見されるが、あまりにも痛々しい火傷の痕があったといわれる。
事件3
10月7日の深夜、Aらは鉢合わせとなった20歳の男性2人、19歳の男性1人を襲って金品を奪った上に拉致する。そして岐阜県安八郡輪之内町の長良川河川敷で会社員の男性1人(当時20歳)とアルバイトの男性(当時19歳)の2人を鉄パイプなどで執拗に暴行した上で殺害した。遺体は翌日に同場所で発見され、両者の遺体は頭蓋骨や腕など全身骨折の上、身体の血管の大部分が損傷を受けて大量出血しているという無惨なものだったという。
その際、少年グループはもう1人の20歳男性は解放した。この男性の供述から犯行が明らかとなり、警察は少年グループを指名手配する。このため、Bは10月12日に出頭、10月14日にAも出頭した。Cは逃亡したが、1995年1月18日に大阪で逮捕され、他のメンバーも逮捕となる。
まあ当然の判決だわな。
返信削除ざまあwww
返信削除至って正常な判断デシタ
返信削除こいつらの処刑は完了したのか?はよやれや。
返信削除この糞ガキ面からしてムカつくよ
返信削除このコメントは投稿者によって削除されました。
返信削除はよしねや
返信削除津波の時だから報道あんまりされなかったな・・こいつらは死刑以外に
返信削除判決ないだろ?まあくそは死ぬしかないだろう~死んだ人はそれでも
戻らないんだから・・こいつ等の馬鹿親は賠償してるのかな?
被害者達に・・・
火炙りか串刺しの刑がふさわしい。なんなら公開死刑がもっと望ましい
返信削除公開死刑で遺族から罵声あびさせてあげたら
削除すっきりするでしょうね。
死刑の執行の仕方を残虐にしてほしい
返信削除電気椅子とかじゃ痛がらず苦しまずに逝ってしまう
何時間かかけて痛めつけてじわじわと遺族も希望有れば
観覧できるようにしてほしい。